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日本語版序文

自著 Mathematical Biology の初版から24年が経った。それ以来,この分野は大きく変化したが,私が1960年代に,数学,生物学,そして医学の学際分野における研究を始めたときからみれば,その変化はなおいっそう大きなものである。1960年代後半から1970年代前半にかけては,この新しい分野の黎明期であった。私はその時期にオックスフォードに戻ってきたが,世界的にみてもその分野で研究している人々はごくわずかであった。その中には,日本の重要な研究者であり,日本数理生物学会の創立者でもある寺本英教授がいた。彼に影響を受けた重定南奈子教授もまた,この新たな分野に進んだ。1975年に初めて日本を訪れた際,彼らに出会えたのは幸運であった。また,この訪問では,私の下でポスドクとして最初に働くことになった研究者である,三村昌泰氏との出会いにも恵まれた。彼は今や,この分野における著名な国際的人物であり,当時から同僚であるだけでなく,家族ぐるみの友人である。現在では,もちろん,日本やその他世界で数理生物学の研究に勤しむ人々は数多い。彼らが何千人にもおよぶことは,この分野に向けられた学会,大規模な会議,雑誌,書籍の数から明らかである。

昔であれば,興味あるどのような分野でも,ほんの少し論文を読めば,最新の情報を完全に手に入れることができるというのが普通だった。すなわち,ある分野から別の分野へと容易に移ることができるということは,興味深くて挑戦的だと思った問題であれば何であっても研究できる状況を享受することができたということである。また,特定の分野で誰が,何を研究しているのかについては,大体において全てわかっていたものだった。

オックスフォードで初版を執筆していたとき,数理生物学分野で研究している大学院生は数人しかいなかった。現在,オックスフォードで数理生物学を研究しているのは,50名を超える大人数である。1983年に,オックスフォード大学に数理生物学センター(現在のWolfson数理生物学センター)が設立された。この15年間,Philip Maini教授がセンター長を務めた。彼は,最も影響力のある重要な国際的数理生物学者の一人で,真に学際的な科学を目指している。1980年代のセンターは,数理生物学分野において重要な研究者たちが訪れたため,信じられないほど興奮に満ちた場所であった。訪問者には,George Oster教授(カリフォルニア大学バークレー校),James Sneyd教授(オークランド大学),そして他にも大勢の研究者がいた。センターの雰囲気は信じられないほどフレンドリーで,オープンで,大変に知的に興奮するものであった。数理生物学センターは,幅広い生物学分野の研究者を惹き付けた。センター設立後,最初の3年間に,そこを訪れた研究者によって出版された共同論文の数は,90前後の部門を有するオックスフォード大学数学研究所で同期間に出版された全論文とほぼ同じ数であった。

数学の生物学への応用は,いまやほとんどあらゆる分野にわたっており,特に,医科学においてその進展の速さは著しい。そして,社会科学においても数理モデルからの研究は,学際的成長を遂げた新しい学問になりつつあることは明らかであろう。ここ5年間ほどで,数理生物学者と実験研究者との協働がますます増えている。私は,それこそが,この領域で本当になされるべきことであると常に確信していた。この営みはまた,実際の生物学とのつながりが限られているとはいえ,新たな挑戦的な解析学の領域を拓くことで,数学に重要な影響を与えてきた。

数理生物学が,それがどのような名前で呼ばれようとも,将来において最も刺激的で,革新的で,科学的啓蒙性のある領域の1つだということは疑いない。自分のアカデミックキャリアのうち,そのほとんどの期間において,このような学際的世界で研究できたことは大変幸運なことであると思う。

2013年,James D. Murray