本書の初版を上梓してから13年の間,数理生物学の発展,および,多様な分野への応用には目を瞠るものがある。数理生物学が,注目に値する学問分野として確立したのは,もはや疑う余地がない。そのことは実際に,世界中で,学術研究や臨床医学,産業界における求人の増加,そして学会員の急増として現れている。いまや,数理生物学の研究者は数千人に達しており,数理モデリングは生物医学のあらゆる主要分野に応用されている。とりわけ,様々な対人関係,(知人による)レイプへのエスカレート,そして離婚予測のモデリングなどを含む心理学の分野への応用は,非常にユニークであり,意外に成功している。
数理生物学は巨大な学問分野になってしまったため,生体流体力学や理論生態学といった事実上独立した分野として,専門領野が発展してきたのは不可避であった。それゆえ,「Mathematical Biology と呼ばれてきた本を,どうして改訂しなければならないと思ったのですか」というのは鋭い質問である。各々の分野の重要な部分だけでさえも,一冊の本で全てをカバーしようと考えるのは現実的でなく,この新版を作成する際にはそれを試みさえしなかった。それでも,私は,生物学で誕生した心躍る問題のいくつかを初学者にわかりやすく説明でき,モデリングが扱うことのできる幅広いトピックを指し示せるような本を作成しようとするのは,正当化されるだろうと感じていた。
多くの分野において,基本はそれほど変化していないものの,この13年に渡る発展は,最新のアプローチおよび分野の状況を,1980年代後半のときと同程度に網羅的に記述することを不可能にしてしまった。当時でさえ,確率論モデルや生体流体力学などの重要な分野を含めることはできなかった。そういうわけで,この新版では,生態学や(扱う範囲は小さいものの)疫学などに関しては,基本的なモデリングの概念を議論するに留めたが,読者がより詳細な情報を得られるよう,参照文献を記載した。その他の分野に関しても例えば,夫婦間相互作用(Volume I),腫瘍の増殖(Volume II),温度に依存する性決定(Volume I),そしてオオカミの縄張り(Volume II)などの,モデリングの新たな応用とともに,最近の進歩を議論している。その他にも,できれば本書に含めたかった,興味をそそる新たな発展が数多く存在したのではあるが,スペースの都合上それは不可能であり,厳しい選択を余儀なくされた。私は,様々な新たな発展に対する見解を概説しようと努力してきたが,その取り上げ方に偏りが生じるのは避けられなかった。
一般的なアプローチに関して何か言うことがあるとすれば,多くのモデルがもっている,実験や臨床データ,実際のパラメータ値の評価との密接な関係がより強調されている点で,初版に比べてずっと実用的である。いくつかの章については,まだ数理モデルを,特定の実験,あるいは生物学的な実体にさえ結びつけることができていない。しかしながら,そのようなアプローチが,研究されている実際のメカニズムだけではなく,モデリングのアプローチにも基づいた数多くの実験を生み出してきた。生物学との関連がそれほど直接的ではないような,より数学的な部分については,一部削除した。数学的に,もしくは,技術的に見て教育的な意義をもつものは残したが,それらはいずれも生物医学的な問題への応用という内容の中で取り上げられている。私は,良い数理生物学を構成するものについて,初版序文で掲げた数理モデリングの理念を,以前よりさらに強く確信している。本書に新たに含めた章に関する,最も刺激的な側面の1つは,それらのもつ真に学際的で協調的な性格である。数理生物学,あるいは,理論生物学は,疑いなくずば抜けて際立った(par excellence)学際的科学なのである。
生物医学における,理論モデリングと実験的研究の統合的な目標は,観察される特定の現象――発生におけるパターン形成や,疫学における相互作用個体群のダイナミクス,神経の接続と情報処理,腫瘍の増殖,夫婦間相互作用など――の根底にある生物学的プロセスを解明することである。しかしながら,生物学的現象を数学的に記述することは,生物学的な説明を与えることにはならないことを,強調しなければならない。いかなる理論であっても,その主な用途は予測にある。異なるモデルがともに似た時空間的挙動を生じることがありうるが,大抵の場合は,それらのモデルが指し示す異なる実験を行うことによって,そしてもちろん,それらが現実の生物学とどの程度密接な関連を有するのかによって,区別される。本書には,そうした数多くの例が示されている。
ではなぜ,発生や血管新生,傷修復,相互作用する個体群動態,制御ネットワーク,そして夫婦間相互作用などのような,本質的に複雑で理解の困難な対象を研究するために,数学を用いるのだろうか。根底にあるメカニズムを理解することから,予測的な科学へと,本当の意味で,そして現実的に発展させたいと望むのであれば,数学,より正確に言えば,理論的なモデリングを用いなければならないことを,我々は示唆していく。我々の知識の大部分が蓄積しているレベル(発生生物学であれば。細胞あるいはそれよりも微細なレベル)と,パターンが観察される巨視的なレベルとの隔たりを埋めるためには,数学が必要である。例えば,傷修復および瘢痕形成については,数学的なアプローチを用いることにより,修復プロセスの論理を探究できるようになる。(もちろん現段階では,決して理解されているとはいえないが)仮にそのメカニズムがよく理解されていたとしても,任意のシナリオの下で,様々なパラメータを操作したときの結果を調べるためには,数学が必要となるだろう。傷修復や腫瘍の増殖――さらに最近では,癌の治療との関連を有する血管新生――などの状況においては,治療を実行に移す前に特定の治療プロトコルのシミュレーションを行う方法を見つけない限り,傷や癌を扱う者にとって利用できるようになりつつある治療法の選択肢は,とてつもない数になってしまうだろう。このシミュレーションは,既に,脳腫瘍(神経膠芽腫)における様々な治療シナリオの有効性,そして皮膚癌に対する新たな2段階治療法(two step regimes)の有効性を理解するために用いられている。
これらの応用における目標は,あらゆる単一のプロセスを考慮に入れた数理モデルを導くことではない。なぜなら,仮にそれが可能であったとしても,結果として得られたモデルが,系の内部にある本質的な相互作用に対する洞察を与えることはほとんど(あるいは全く)ないからである。むしろ目標は,そのモデルから得られる結果をより完全に理解できるようにしてくれる様々な相互作用の本質を捉えたモデルを開発することなのだ。生物システムからより多くのデータが現れてくるに従って,モデルはより洗練されたものとなり,用いるべき数学もますます興味をそそるものとなる。
例として発生学を考えると,モデルと理論が大量に氾濫しているにも拘らず,実際の生物学的発生を正確にシミュレーションできるようになるには程遠いのは確かである。概して言えば,いまだに重要なプロセスがよくわかっていないのだ。このような限界にも拘らず,私は,たとえ現段階の少ない知識量の下であっても,パターン形成の論理を探究することには価値がある,いや,それどころか不可欠である,と感じている。その探究により,仮説的なメカニズムを構築することができるようになる。そして我々は,数理モデルという形でその結果を調べ,予想を立て,さらにはモデルの真偽を確かめられるような実験を示唆できるようになる。それでさえも,生物学に光を当てることが可能である。まさに数理モデルを構築するプロセスそれ自体が,有用となりうるのだ。我々は,特定の1つのメカニズムに全力を傾けなければならないばかりか,そのプロセス,および主要な役割を果たす要素(変数),さらにはそれらを展開させるメカニズムにとって,本当に重要なことは何であるのかも考察しなければならない。このように,我々は理解するための枠組みを構築することにも携わる必要がある。モデル方程式や数学的解析,それに引き続く数値シミュレーションは,その論理構造の帰結を,定性的にのみならず定量的にも,明らかにしてくれる。
この新版は,2冊に分けて刊行される。Volume I(本書)は,この分野への導入である。その数学は,主に常微分方程式,および,いくつかの偏微分方程式モデルを含んでおり,様々なレベルの大学学部課程,大学院課程に適している。Volume IIでは,偏微分方程式に関するより詳細な知識が必要とされ,大学院課程,あるいは参考図書としてよりふさわしい。
本書の初版を刊行して以来,私に手紙を書いてくださった数多くの人々(ニューイングランドの囚人もその中に含まれるが)の励ましと寛容さに感謝申し上げたい。彼らの多くは,わざわざ本書の誤りや誤植,いくつかのモデルの拡張,さらには共同研究の提案などを送って下さった。それらの助言は,数多くの学際的研究計画を成功させ,いくつかはこの新版で議論されている。原稿を丁寧に読み,助言をくださった私の同僚Mark KotとHong Qian,そして私のかつての学生たち,特にPatricia Burgess, Julian Cook, Trace Jackson, Mark Lewis, Philip Maini, Patrick Nelson, Jonathan Sherratt, Kristin Swanson, Rebecca Tyson諸氏に感謝したい。また,献身的で,思慮深く,細部へも配慮しながら原稿の大半をLaTeXソースに直してくれ,さらには世に知られていない膨大な数の文献と資料を見つけ出してくれた,私のかつての秘書Erik Hinkle氏にも感謝したい。
ワシントン大学心理学科のJohn Gottman教授には,大変感謝している。彼は夫婦間および家族間相互作用の臨床研究の世界的なリーダーであり,私は10年近くにわたって彼と共同研究するという幸運に恵まれた。周囲の人々をも夢中にさせる彼の熱意と,数理モデルを用いるのだという彼の強い信念,初めは懐疑的だった私への我慢,そして対人関係に対する彼の実用的な洞察力がなければ,私は,彼と一緒に夫婦間相互作用の一般理論を発展させることに夢中になることはなかっただろう。それとともに私は,ワシントン大学神経病理学科長のEllsworth C. Alvord, Jr.教授にも感謝したい。私は彼と過去7年にわたって,脳腫瘍の増殖と制御のモデリングを共同研究した。モデリングに対する私の一般的なアプローチ――それは実用的なアプローチでもあってほしいと望んでいるが――に関しては,1956年私の初の訪米でハーバード大学をたずねたとき,私に大いなる影響を与えてくださったGeorge F. Carrier教授に最も感謝しなければならない。私は生涯を通じて,彼のもつ驚くべき洞察力と,複雑な問題から重要な要素を引き出しそれを現実的で有用なモデルに組み込む力を,獲得しようとしてきた。最後に,名前を挙げることはできないが,この分野で私を励まし続けてきた私のかつての学生たち,ポスドクたち,数多くの同僚たちおよび共同研究者にとても感謝している。
数学と生物医学に過去30年近く携わってきた私の人生を振り返ると,非常に後悔することがある。もう何年か早くこの分野の研究を始めていればよかったのに,と。